〈浪人編〉東大に受かった私の勉強法
要点
①予備校に行こう
②無駄がない(予備校はなぜすごいか)
➂仲間がいる(予備校はなぜすごいか)
この勉強法シリーズで「28年前に東大に受かった」という、太古の昔の話をしている私(金田淳子)ですが、一年目は普通に落ちています。前期、後期ともに落ちるというパーフェクトゲームを決めました。背水の陣を気取って滑り止めを一個も受けていなかったので、その瞬間に在野武将(浪人)になりました。滑り止めの私大を受けようにも、富山県という辺境の地では、わざわざ試験のたび東京などに遠征せねばならず、かったるいというのもありました。
その時代、世間ではまだバブルの余波が続いており、私の父母にもそこそこお金の余裕があったため、私は東京で浪人生活を送ることができました。
ちなみに、あまり勉強法に関与しないので書いてきませんでしたが、私には一つ年上の姉がいて、東京外国語大学に現役合格して、すでに東京で暮らしていました。姉に勉強を教えてもらった記憶はあまりないのですが、姉が私以上に勉強得意人間で、夏休みの宿題は七月中に終えるなどの気持ちの悪いムーブをし、結果、志望校に現役合格したことは、明らかにプラスの影響があったと思います。(なお、〈家庭学習編〉で書いた通り、私は好きな教科以外の宿題はしないタイプでした。特に夏休みなどの長期休暇となると、自分用エロ小説の作成にかかりきりになり、肝心の宿題は、最後の三日間で答えを書き写していました。)
①予備校に行こう
さて浪人編ですが、ここでの要点は「予備校すげぇ」に尽きます。
勉強なんて、家で一人で問題集を解いていくので十分だ、という考えの人もいるでしょうし、それで実際に志望校に受かった人もいると思います。しかしお金があれば予備校に行くに越したことはありません。
なぜなら、予備校教師は受験のプロだからです。受験という分野に関して彼女ら/彼らに勝るプロはいません。特に難関大学専用のコースは、その大学の入試問題のことだけを何十年も考えて、実際に合格者を輩出してきているのです。予備校を信じてすべてをゆだねましょう。自分の通っている高校と、受験したい大学のレベルがマッチングしない人は、できれば現役時代から専用の塾に通うことを、強くお薦めします。浪人する危険性を考えると、現役時代から塾通いしたほうが安く済むと思います。(とはいえ富山県など地方だと、難関大学専用コースがあるような予備校自体が存在せず、よくてサテライト教室や、インターネット通信講座などになってしまいますが……。)
浪人時代に私が通ったのは駿台予備校で、東大・一橋文系専用のコースで一年間、みっちり学びました。出身校を悪く言うわけではないのですが、地方の進学校と、予備校の専用コースとでは、教える内容の違いが大きく、かなりのカルチャーショックを受けました。これについて次に見ていきます。
②無駄がない(なぜ予備校はすごいか)
多くの高校では、全生徒の志望校が1つ2つに絞れるということはないので、どうしても教える範囲が広くなりすぎるか、最も多い志望校に最適化した教え方になると思います。
しかし予備校の専門コースになると、たとえば「東大文系」コースなら、基本的に「東大文系」の入試に関連することだけを教えます。数学であれば、東大文系の入試の過去問や、それに傾向の近い大学の過去問、あるいは予備校教師がヤマを張った例題をやりつづけることになります。
私の通っていた高校では、入試の過去問を解く授業もありましたが、どの大学に特化しているということもなかったので(しいていえば最も受験数の多い「富山大学」)、自分の志望校についてはそれぞれが赤本や青本を買って、家でやれという方針でした。それに比べ予備校では、放っておいても「自分の志望校の過去問(またはそれに類する問題)」が出てきて、丁寧な解説を受けることになります。これで模試の成績が上がらないほうがおかしいです。
ちなみに浪人時の勉強法も、私は基本的に「寝ずにノートをしっかり取る」「わからないことは教師に聞く」方式でした。予備校の講師は生き馬の目を抜くような実績・人気重視の世界なので(実際、生徒による講師の評価シートなどもあった)、トークのうまい講師が多く、集中して聞くことについて特段の努力は必要なかったと思います。現代文のある講師に至っては、最後列に立ち見が出るほど人気がありました(※立ち見が出る=本来、その授業を選択していない生徒まで見にきているということ)。
なお、東大前期が受からなかったときは、後期試験を受けることになるのですが、後期試験はたいてい小論文方式です。小論文については、高校で全く教えておらず、予備校でも授業を選んでいなかったので、ほぼ独学となってしまい、苦戦したことを覚えています。
なまじずっと自分用のエロ小説を書いてきたせいで(?)、現代文の成績が良く、「文章を書くのが得意だ」と思いこんでいたことがアダとなりました。いま考えると、小論文というのは、(最低限、形式面を整える技術はすぐ学べますが)課題についての一定の知識がないとアホまるだしになりがちだと思います。試験を受けるなら受けるで、しっかり予備校の授業を取り、出そうな分野の専門書を読むなどして対策すべきでした。しかしそうなるともはや、大学の専門課程で学ぶような内容になってくるので、「なぜ受験勉強でこれを……?」みたいな気もします。(すでに一定の知識を持っている人に門戸を開くという意味で、後期試験の意義は理解できますが。) 私は結果的に、二年目は後期試験を受けずに済んだので、アホをさらさずにすみました。
➂仲間がいる(予備校はなぜすごいか)
私が在宅浪人ではなく予備校をオススメするのには、教育内容の質の高さのほかに、もう一つ理由があります。特に専門コースだと、同じ志望校を目指す大勢に囲まれて授業を受けることになります。仮に友達がいなかったとしても(実際、私は友達が一人しかいませんでした)、同じ志望校の生徒が大勢がいるというだけでプラスの影響が生じるのです。
都市部の有名進学校では、「東京生まれ東京育ち、知ってる奴(の志望校)はだいたい東大」(ヒップホップ調)という環境が整っている場合もあると思いますが、地方進学校では、旧帝大を受ける人が一学年(約400人)におそらく30人程度、東大に限ると10人程度(1クラスに1人程度)です。どうしても「井の中の蛙」という環境になってしまいます。「たまたま友達だった」という偶然を除けば、志望校の出題傾向について相談できる相手もいません。
中には「1クラスに私だけとか、燃えるじゃん」と、がぜん勉強に力の入る変態の人もいると思いますが、一般的には、「知ってる奴はだいたい同じ志望校」のほうが勉強する意欲が整うと思います。自分のしている勉強が、何も特別なことではなく、全員がやっていることだと認識できるからです。
志望校が同じ人たちと友達になって、勉強の相談ができるような関係になるとなおプラスだと思いますが、先述のとおり私は席の近い人と事務的なことを話す程度で、あまり友達がいませんでした。負け惜しみを言えば、予備校帰りに寄り道をしたり、休日遊びに行くような友達がいなかったので、勉強には絶好の環境だったと思います。
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以上、「予備校はすごい!」編でしたが、どこかからお金をもらって書いているわけではありません。また情報が古いので、現代の受験産業はまた違ったものになっているかもしれない、ということも申し添えておきます。
このあたりで皆さん、もう気づいていると思いますが、10代ぐらいまでの学業成績が良いかどうかは、個人の生まれ持った資質とか努力だけで決まるものではありません。私に関して言えば、予備校に行かなければ東大に受からなかったと思います。つまり、個人の努力ではどうにもならないものが関与しています。どの地域で、どんな家に生まれるかが、学業成績の良しあしをえげつないほど左右してくるのです。
(参考記事)
舞田敏彦(教育社会学者)「東大生の親の6割以上は年収950万円以上」
2018年9月5日(水)16時10分
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/09/6950.php
こういう身もふたもない現実があると、もう「授業中に寝ずにノートを取る」などの、貧乏人の小手先の努力がばかばかしくなってくるわけです。社会を変えるしかないと思って、おもむろに農具を上段に構えて立ち上がるわけです。農具持ってないけど。
高校までの勉強を、あくまで出世のための道具、人間を比較するための尺度だと考えていると、このようにむなしくなってきて、やる気がスーッと失せるのですが、そういう人のために、最後に一つ伝えたいことがあります。五教科の勉強は、その後に大学進学しなかったとしても、何らかの意味で直接、間接に役立つと思います。特に、フェイクニュースや疑似科学などが幅を利かせている昨今、高校までの知識さえあれば死なずに済んだのに、という局面は増えていると思います。
そういう意味では、必ずしも皆のペースに合わせて、高校のときまでに完全理解しなければならないということもないので、学びたいと思った時に、学びなおせる環境が(図書館以外にも)安価に充実している社会であってほしいと思っています。
私に関して言えば、受験目的で科目を整えたところがあるので、世界史という重要科目を履修していません。特に中東地域や南半球について、他人に尋ねられたら走って逃げたくなるくらい、知識がありません。かなり前に山川の副読本を買ってきて何回か読もうとしているのですが、知らない単語ばかりで目が滑ります。三国志にばかり無駄に詳しくなっている毎日ですが、三国志時代の面白さを十全に知るためにも、他の地域・時代との比較は欠かせないのです。その意味では、私は三国志についてもまだまだド素人です。
他人と点数を比較されなければ、本来、勉強は面白いものだと思います。先ほどは「いつか役立つ」と書きましたが、今現在の自分の生活に全く役立たない知識が増えていくのって、すごくないですか。軽く興奮しませんか。とか言いつつ、『バキ』(板垣恵介の「刃牙」シリーズの第二部)で突然出てきた、たくさんの海王みたいに、私自身、別に1ミリも興奮しない知識もあるのですが、皆、騙されたと思って海王を覚えよう(※騙される)。海王を覚える徒労感に比べると、大抵のことが面白く感じるはずです。多分。
(おわり)(教科ごと編につづく予定)
↓「知ったところで真似できない」という噂の〈授業編〉はこちら
「刃牙」を読んで頭がおかしくなって書いた感想「乙女の聖典~女子こそ読みたい刃牙シリーズ」その1、受験勉強と1ミリも関係ないけど、よかったら読んでいってね!
「刃牙」シリーズ感想記事「乙女の聖典~女子こそ読みたい刃牙シリーズ」は、noteで連載しています。よかったら読んでね! すべて前半は無料、後半100円です。